調査報告書






兵隊虫に関する調査報告


●はじめに
 生きものには世代や地域によって,図鑑に載っていない「俗名」というものがずいぶんたくさんあります.
昆虫では例えば,ヘビトンボの幼虫を「孫太郎虫」と呼んだり,コガネムシの仲間を「ブンブン」と称したりする
ことがあげられます.
そのほか,ごくローカルなものまで含めると,かなりの数にのぼることでしょう.
 ところで,「兵隊虫」という虫をご存じでしょうか?
実はツマグロカミキリモドキという体長1センチ程度の小さな甲虫のことを呼ぶ言葉で,どうやら大阪の一部地域に限って使われていたようです.私も聞いたことのない言葉だったので,ずいぶん戸惑ったものでした.
ここではその調査結果を中心に紹介します.

●兵隊虫ことツマグロカミキリモドキ
 ツマグロカミキリモドキとはカミキリモドキ科に属し,体長は約1センチ.全体に黄褐色で,上翅の先端が黒い小さな甲虫です(図).幼虫は湿った材木を好んで食べるので,成虫も貯木場など,木のたくさん置いてあるところで発生します.  この種類は世界各地に分布していて,とりわけ大きな港のあるような街にたくさん発生することがあるようで,ロンドンの金融街ストランドではかつて,舗道を覆いつくすほどの数万匹の大発生も見られたことがあるそうです.おそらく人類の活動が活発になり,海上交通が発達して大陸間の往来が激しくなってから世界中に分布するようになった「史前帰化昆虫」であろうと思われます.原産地は現在のところ特定されていません.



●「兵隊虫勝負」とは
 ツマグロカミキリモドキなど,カミキリモドキ科の甲虫のいくつかは体液にカンタリジンという毒液を持っていて,それが人間の皮膚につくと水ぶくれを引き起こす衛生害虫として知られています.とくに,灯りにやってくる種類が多いため,首筋などにとまったこの虫を不用意につぶしてしまい,水ぶくれに悩まされることがあります.  兵隊虫勝負というのは,このツマグロカミキリモドキをつかまえて,自ら肘(ひじ)の内側にはさみ,虫に対して「勝負」を挑むというものだったようです.ひじにはさんでも必ずしも水ぶくれができるわけではないようで,もし水ぶくれが出来なかったら「勝ち」,運悪く水ぶくれが出来れば「負け」という風にして遊んだそうです.ずいぶん荒っぽい遊びが流行っていたものです.

●「兵隊虫」の分布
 ツマグロカミキリモドキそのものは世界中に分布している甲虫ですが,「兵隊虫」はどうやら大阪だけのものだったようです.実に100人近くの方々から,「兵隊虫」とその「勝負」について教えていただくことができました.その分布図を作成してみました(図).



●兵隊虫の呼び名の由来
 さて,なぜ兵隊虫と呼ぶのかについてですが,当初はジョウカイボン類を英語でsoldier beetleと呼ぶことと大阪の都市部に集中していることと,またネーミング・センスの古さから,戦後にやって来たアメリカ兵からsoldier beetleの直訳として習った子供たちが広めたのではないかと推測していました.実際,これまで兵隊虫遊びをしていた時代を調べてみると,一番古くは昭和20年代前半にまでさかのぼることができました(図).
 兵隊虫あそびをしていた時代に関する調査
 集まった情報から集計(一部推測)した.ほとんど全員が小学生時代にあそびを経験している.

 昭和10年代後半 
 昭和20年代前半 ■■■
 昭和20年代後半 ■■
 昭和30年代前半 ■■
 昭和30年代後半 ■■■
 昭和40年代前半 ■■■■■■
 昭和40年代後半 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 昭和50年代前半 ■■■■■■■■■■■■■■
 昭和50年代後半 ■■■■■■
 昭和60年代    ■

そういえば,ツマグロカミキリモドキもカーキ色をしています.また,ジョウカイボンも英語でsoldier beetleと呼ぶのは上翅が柔らかく,見た目が兵隊の服に似ているからという説もあることも知りました.私は今のところ,虫の呼び名に対する由来として,この色彩起源説が一番有力ではないかと思っています.もしそうであれば,この兵隊虫と勝負のあそびが,おそらく戦中あるいは戦前までさかのぼることができるのではないかと考えています.ご存じの方がありましたら,ぜひ情報をお寄せくださいますようお願いします.  勝負の由来については,これもまったくの推測ですが,ちょうど「ウルシにまける」などというのと同じように,「兵隊虫にかぶれてまけた」などといっているうちに,「じゃぁ,勝ってやろう」という負けず嫌いの子がはじめたのではないかと思っています.しかし,前述の通り,この虫は世界じゅうの海に面した大都市には必ずといっていいほど分布している種類です.大阪の子供たちだけがこのような「勝負」の文化を生み出したのは,何か特別な理由があるのでしょうか?

●まとめ
 兵隊虫ことツマグロカミキリモドキは,以前の大阪市内の昆虫を知っている方はみなさん「少なくなった」とおっしゃいます.長居公園あたりでもかつてはずいぶんたくさん見られたようですが(宮武頼夫さん談),私自身はこれまで見たことはありません.  今回の行事で見つかった兵隊虫の生息環境の共通点は,貯木地や材置き場のうち,地面が土になっていて,木の下にほどよい湿り気があるところばかりでした.  思い返してみれば,2〜30年前は電信柱,枕木,家の塀,溝のフタなど,身の回りにもまだまだ木を使ったものが多く,地面もアスファルトやコンクリートの部分は今ほど多くなかったかもしれません.このような環境の変化がツマグロカミキリモドキを減少させ,同時に「兵隊虫勝負」という世界に誇るべき大阪の伝統文化をも衰退させてしまったのかと思うと,何となくさみしい気もしています.  

                              駆動研究所学術研究員 駄々滑研究員







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